カミハタ養魚グループは人と生き物が共に暮らす環境をトータルに提案します

KAMIHATA探検隊

カミハタ探険隊in AFRICA MALAWI
text & phot/神畑重三 協力/神畑養魚(株)

+++ Vol.4 +++

「透明な湖の底で青く輝く魚たち・・・」

観光客もめったに訪れないアフリカの僻地に広がる美しいマラウィ湖にすむ魚たちは、

まるで宝石のように青く輝いていた・・・


青く輝く湖底の魚たち

バラバスに心づくしのランチをご馳走になり、2組に分かれてボートに乗り込んだ。対岸にはモザンビーク領の山々がすぐ目前に見える。いまなお内戦の続く国である。この湖の中には両国の国境線がきっちり引かれていて、無断侵入は許されない。

島の周辺には大小さまざまの小島が点在しているが、どの島にも砂や土が見えず、石が積み重なって島になった感じで、岩にしがみついたようなバオバブの木やサボテンが岩の隙き間から顔をのぞかせている。大木の枝にはフィッシュ・イーグルがのんびり羽根を休めており、人が近づいても素知らぬ顔の平気の平左を決めこんでいる。

水の透明度は先日のポイントより良好で、信じられないほど美しい。その中をメタリック・ブルーの魚がきらきらと輝きながら通過する。ボートはチスムル島の近くで錨を降ろした。ダイビングすると、水底に車や家くらいの大きさの石がごろごろしており、「凄い!」としか表現できない。魚影も濃い。

岩にしがみついて、じっと魚たちの様子を見つめていると、モーリシャスの海で見た訓練された兵隊のように隊列を組んで泳ぎ、方向転換も足並みを揃えて向きを変える魚たちを思い出したが、この湖の魚は自由奔放に勝手気ままに泳いでいる。淡水魚と海水魚とでは、天敵がいるかいないかの差で、こんなにも習性が違ってくるのだろうか。シクリッドたちは岩についた苔が主食なのか、それを食むことに無我夢中だ。

魚たちはそれぞれ岩場にテリトリーを持っている さすがアフリカンダイバー。様になっている
■魚たちはそれぞれ岩場にテリトリーを持っている ■さすがアフリカンダイバー。
様になっている

岸から2、3m離れた所が切り立った崖のようになっていて、5m、10mと深く潜っていく。20mを超すと、水の色が得体の知れない不気味な紺色に変わってくる。水上がサウロスと一緒に深層部に棲んでいる魚とりにチャレンジしたが、以下は彼の体験談である。

「サウロスが巻網を片手に入水したので、私も続いて入水すると、彼は垂直に潜っていきました。水深10mまでは光が届いてるんで、魚が光に反射してメタリック・ブルーに輝いて見えますが、変わった種類はいません。潜水を続けてサウロスが水深20mで合図を送ってきたんで、にわかに緊張が走りました。この辺になると魚種がやや大型になって、体形も色も明らかに違う種類です。魚が私たちに気付いて猛スピードで逃げるので。サウロスがそれを追っかけてどんどん深く潜りました。私も遅れをとらないよう必死であとを追いかけますが、急激に水深を下げたんで、耳抜きをするのに大わらわです。
周囲が暗くなって、水深20mを超えたあたりでサウロスが止まり、魚の行動パターンを計算して、素早く網をセットしました。薄暗い音のない湖底で、じっと息をひそめていると、とつぜん私に合図が送られてきて、網を張ったポイントに2人で魚を追い込むと、彼の計算通り吸い寄せられるように魚が網にかかりました。サウロスがもがく魚を手づかみして、指でOKのサインを送ってきました。私は夢中で魚を追ったため、息使いが激しくなって、しかもホースからの空気が水圧でスムーズに送気されないため、呼吸が苦しくなりました。サウロスが親指を立てて浮上のサインを送りますが、水面まで相当の距離があって、もがいても、もがいても、水面が見えてこなくて、息ができなくなり、もう一巻の終わりかと思いました」と。

命がけで捕獲した魚は、紫がかった深いブルーに輝いていて、初対面の魚だ、そのいかつい顔つきは親しみを感じさせるが、ティラノクロミス・マクロストマという魚で、恐竜のティラノサウルスと同じ語源のタイラント(暴君)の意味を属名に持つ大型の肉食魚だ。マラウィ全域の岩礁に生息していて、成長魚のオスは紫がかった深いブルーを呈して、とても美しく、非常に人気が高いけれど、日本への輸入量が極めて少ない魚である。大急ぎで写真を撮ってタンクに移したが、急激な水圧変化のため、浮袋の中の空気が膨張して、三尾とも腹がぱんぱんに膨れてひっくり返ってしまった。通常は2日がかりで減圧して体調を合わせるらしいが、今回は減圧せずに浮上させたため、数時間で死なせてしまい、かわいそうなことをした。

ディクロミス・キアネウス・リコマの捕獲にも成功した。この魚はおもに動物プランクトンを食べ、口吻を突き出してスポイトのようにプランクトンを吸い込む。水深3mの水域を速いスピードで泳いでいるので、捕獲は困難を極めた。この魚が口から吐き出したオタマジャクシのような1cm大のシクリッドの稚魚がガラスケースの底に三尾ほどへばりついていた。湖の中にそっとリリースしてやったが、はたして生きられるかどうか。「シクリッドは口の中で稚魚を育てるが、水圧の急変で苦しくなって吐き出したのでしょうね」などと初体験のかずかずを水上と興奮ぎみに語り合う。

なんと美しい色をしているのか。背ビレの白と腹ビレの黄のコントラストが信じられないほど美しい コパディ・クロミスの一種 メタリックブルーに輝くコパディクロミス・キアネウス・リコマ
■なんと美しい色をしているのか。背ビレの白と腹ビレの黄のコントラストが信じられないほど美しい ■コパディ・クロミスの一種 ■メタリックブルーに輝くコパディクロミス・キアネウス・リコマ
メラノクロミスの一種 ニムボクロミス・リビングストニー 貴重なシクリッドもここでは食用
■メラノクロミスの一種 ■ニムボクロミス・リビングストニー ■貴重なシクリッドもここでは食用

別のボートではグラント夫人と弟のジョンが私のシュノーケルを使ってスイミングを楽しんでいた。場所を移動することになったが、夫人とジョンは自力でボートに上がれず、悪戦苦闘している。ダイバー2人が手と足を引っ張ってうんうん言いながら溺死体を扱うみたいに船上に引き上げる様子を見て、元気を回復した水上が「土左衛門みたいやな」と大笑いしている。ボートは船べりが高くて、水面からゆうに70cmもあるので無理はないが、帰ってからこの光景をグラントさんに話したら、その姿に想像がつくのか、笑いころげて、しばらくは笑いが止まらなかった。

別の島に接岸していると、ダイバーが「クロコダイルだ」と騒いでいる。1.5mのワニが岩場からするすると湖中に入ったらしい。「あっ、ここは湖だった」と改めて気付かされた。ワニに襲われては危険なので、ダイビングを中止することにした。

アフリカの貧困を再認識する

帰路、大型の帆船が接岸してきて、そこに大勢の人が集まっていた。サウロスが「モザンビークの交易船で、ときどきこの島に日用雑貨品の仕入れに来るんです。リコマ島の住人のほとんどが交易船と商売することで生活を立ててるんです。モザンビークはマラウィに比べて極端に貧しいんです」と説明してくれた。

グラントさんが「リコマ島は治外法権のような島で、いろいろな国の人間が麻薬を楽しみに来るようになって、最近は治安が少しずつ悪くなってきて心配です」と嘆いていたが、なんとかこの島の美しい自然を汚さずに地上の楽園のままの姿にとどめておきたいものだ。

バラバス達に見送られて「モスキート」パイロットと共に
■バラバス達に見送られて「モスキート」パイロットと共に

バラバスたちが草原でさかんに手を振って名残惜しそうにわれわれを見送ってくれた。帰路、機上から見た夕焼けと虹は、地上から見るのと一味違って、生涯忘れることのできない迫力満点の見事な美しさだった。

翌朝、グラント夫妻の運転する車でブランタイヤまで行き、そこから南アフリカのヨハネスバーグ経由でシンガポールまで飛び、翌々日には日本に帰れるのだ。この半月間の生活でこの土地のテンポにもすっかり慣れ、心身ともにアフリカ・モードにひたりきっている。当初は耳ざわりで寝つけなかったカバのうなり声もぜんぜん気にならなくなり、子守歌のようにさえ思えてくる。親切なおもてなしを受け、2人ともこの地に限りない愛着がわいて、帰るのが嬉しいような、寂しいような複雑な気持になっている。

出発の朝、顔なじみになったファームの黒人たちが名残りを惜しんでいつまでも手を振って見送ってくれた。ブランタイヤまで完全舗装されたサバンナの一本道を一直線に走るのは快適であった。平均130kmでぶっ飛ばすが、途中に信号がなく、1時間走っても数台の対向車にしか会わず、ときたま道の両側に粗末な泥壁の茅葺きの家が点在しているだけだ。グラントさんが「マラウィはアフリカの中では生活水準が非常に高い国だ」と言うが、日本人にはこれ以下の貧しい生活をイメージできない。アフリカの国々の想像を絶する貧困さを改めて考えさせられた。

リコマ島のバオバブ
■リコマ島のバオバブ

幸か不幸か途中で車が故障して、その修理時間を利用してマラウィ湖から流れるシャイヤ川でクルージングすることになった。この大きな川は広大なリロンディ国立公園の中にあり、川の右側の大草原にはカバやクロコダイルが数多く見られる。草の短い場所では象の群れも見られた。草原にはライオンやヒョウも多いそうだ。水上が、「せっかくアフリカまで来て、動物に会えずに帰るのが物足りなかったけれど、願いがかないました」と大喜びしている。

夜遅くブランタイヤの町に到着し、グラント夫妻から中華料理をご馳走になった。翌朝チルカ空港まで送ってもらってお別れすることになったが、初対面の私たちを長年の友人のように温かく親切に歓迎してくれた夫妻にはお礼の言葉も見当たらず、ただ手を固く握って心から感謝するしかなかった。

モーリシャス島からアフリカへと続いた旅もいよいよ終わりに近づいた。日本を発つときは桜前線が北上してつぎつぎに開花していくニュースを耳にする時節だったが、それがずいぶん昔のことのように思われる。日本でのあわただしい生活のリズムと違って、アフリカの時計の針はゆっくり刻まれていく。1日1日がとても長く感じられた。

医者のいないアフリカの僻地では、ちょっとした気のゆるみが一大事を招くことを経験から知っているだに、この半月間、私の気持ちは昼も夜も緊張感でぴんと張り詰めていた。今やっと肩の力が抜けて、春の雪解けのようにじわじわリラックスしていく自分がよく分かる。実りの多かった旅を反芻しながら、胸いっぱいの満足感で溢れる私たちを乗せた飛行機は、赤褐色のサバンナの上を飛び続けて一路日本へと……。

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