カミハタ養魚グループは人と生き物が共に暮らす環境をトータルに提案します

KAMIHATA探検隊


写真・文◎神畑重三、松本 亮、犬塚 一、 協力◎神畑養魚(株)


+++ Vol.3 +++
ボルネオカリマンタン採集紀行

8月8日(木)5日目

■ここまで立派なキッシンググーラミィは、水槽内ではなかなかお目にかかれないだろう

昨夜は遅かったので、ありがたいことに朝は10時起床になった。今日はこれからサマリンダ経由でマハカム河の上流のKotabangunという湖のそばまで行く予定である。町を出ると風景は昨日までとすっかり様変わりして、緩い緑の丘陵地帯が道の両側に続く、人家も少なく、人影もまばらである。途中景色のよい池の畔で網を引くが、収穫はほとんどなく、ただ水草 の少し変わったのが見つかったくらいであった。夕方になりマハカム河に面したコタバルーンという町に着く。ホテルの部屋の窓の下には、雄大なマハカムの大河が流れていて、すばらしい眺めである。景色だけでなく、このホテルの設備も今までと大違いに良い。ここにはドイツの淡水イルカの研究チームがもう8年前からきて泊まっているとかで、設備が良いのはそのせいもあるのであろう。ここのホテルの主人が言うのには、「この前を流れているマハカム河には、淡水エイはもちろんのこと、大きな淡水性のサメも網に掛かったり、釣れたりする」のだそうで、生物進化の面でも興味のあるところらしく、ドイツの調査団がきているのはその ためらしい。

昨夜は遅かったので、ありがたいことに朝は10時起床になった。今日はこれからサマリンダ経由でマハカム河の上流のKotabangunという湖のそばまで行く予定である。町を出ると風景は昨日までとすっかり様変わりして、緩い緑の丘陵地帯が道の両側に続く、人家も少なく、人影もまばらである。途中景色のよい池の畔で網を引くが、収穫はほとんどなく、ただ水草の少し変わったのが見つかったくらいであった。夕方になりマハカム河に面したコタバルーンという町に着く。ホテルの部屋の窓の下には、雄大なマハカムの大河が流れていて、すばらしい眺めである。景色だけでなく、このホテルの設備も今までと大違いに良い。ここにはドイツの淡水イルカの研究チームがもう8年前からきて泊まっているとかで、設備が良いのはそのせいもあるのであろう。ここのホテルの主人が言うのには、「この前を流れているマハカム河には、淡水エイはもちろんのこと、大きな淡水性のサメも網に掛かったり、釣れたりする」のだそうで、生物進化の面でも興味のあるところらしく、ドイツの調査団がきているのはそのためらしい。

スンガイターザンたおれる・・・
8月9日(金)6日目

■ジャイアントグラスフィッシュ。なかなか精悍な面構えをしている

■ミストゥスの一種

今日は待望のイルカを見に行く日だ。眺めのいい部屋で朝食を取っていると、松本が体調が悪いので、今日は一日休ませてくれという。「スンガイターザン」の異名を持つ彼が休ませてくれ、というのはよほどのことと思い、みんな心配するが、医者もいないこんなところなので、どうすることもできず、そこで思いついて、ジョンに頼んでインドネシア独特の体調の悪いときによく効く、コインマッサージ師を探すように頼んだ。私もニューギニアで体調を崩したとき、これをやってもらったことがあるが、文字通りコインを使って、ゴシゴシ体中をこすり、毛穴を逆立ててその拡がった毛穴に芳香性のオイルをすり込む方法だ。痛いことは痛いがそれより困るのは体中が赤い痣だらけになってしまうことだ。しかし、体調が戻ると赤い痣は自然に消えてしまう。松本の健康を気にしながら、我々は3隻の水上タクシーをチャーターしてイルカの棲む湖、シマヤグ(Semayag)湖へと出発をした。この湖は持参の地図で測定すると、直径40キロ、幅20キロほどの大きな湖であり、対岸が見えないほど広い。乾期で極端に水深が浅くなっており、所々湖底が見えていたりして、その両側には水が干上がって死んでしまった魚の残骸が累々と続いており、悪臭を放っている。ホテルの主人は「湖の水量が減っているのでイルカも1ヵ所に集まっており、見やすいのではないか」と言ってくれたが、それもどの程度のものかと思う。果たしてこんな浅い水深でイルカが棲めるのかと思う。3時間ほど湖上を探索してみたが、イ ルカの影も形も見えない。ボートマンは「乾期でどうやら水量が減りすぎたので、マハカム河へ退避してしまったらしい」という。全員それを聞いてガックリ。ともかく、これから一旦ホテルに帰り、また、出直して湖の別の方角を探そうという案が出たが、私はこの渇水ではイルカの見つかる可能性は非常に低いと判断し、別の湖の奥深いところに住んでいるという、ダヤクツの部落に行くことを提案した。そしてそれに決める。ボートマンの話では、そこまで片道3時間、計6時間ということであったが、私はこちらの人の言う距離と時間はいつも控えめで、額面どおり受け取るととんでもないことになってしまうのは、今までの経験でよく知っている。まず10時間は覚悟しなければなるまい。抜けるように青い空には真珠の光沢をした光り輝く雲が見られ、風を切ってボートが走っている分には、さわやかですこぶる快適である。途中何ヵ所かでボートが浅瀬に乗り上げ座礁する。といっても大したことはない。みんなボートを降りて押すだけの話である。湖が余りにも広いので、ボートマンもダヤクツの村へ行く方向を見失ってしまったらしい。
■水上で暮らす人々

■水上で暮らす人々。確かに物質面では豊かとは言えないだろうが、そんなことはどうでもよくなってしまうような、くったくのない笑顔だった

ボートはとある水上の部落(いかだを組んで何十軒もの家が集まって一つの集落を作っ ている)に寄り、ガイドを頼んで彼に同行してもらうことになった。案の定片道5時間以上かかってしまった。そしてやっとTanjung Isuyという村にたどり着いた。船着場にはダヤツク特有の木彫りのトーテムが立っており、我々を迎えてくれる。胸をときめかせながら上がっていくと、ジョンがすまなさそうな顔をしてやってきた。彼は正直な男だから、顔を見ただけですぐ何事か察しがつく。「すみません。ダヤツクは逃げて、いない」と言う。何でも数ヵ月前「ダヤツクと原住民の間に闘争がありダヤツク族が何人か殺され、それを恐れて彼らはジャングルの奥へ移動してしまったらしい。そこまではこれからまだ3~4時間かかります」とすまなそうな顔をして詫びている。しかし、ここには少しだけダヤツク族が残っており、外国人相手の木彫りの品や踊りを見せたりしているそうである。ともかく、そこへ行くことにする。そこには、驚いたことにこんな辺境の地まで女性を交えた外国人の観光客らしいのが4、5人来ていて、土産を買ったりしている。どうやってこんな所までやってくるのか、日本人には考えられないバイタリティだ。早々に切り上げて帰路に着くが、またガイドの青年を湖上の村まで送り届ける。もう日は完全に湖の彼方に落ち、薄紫色の闇が迫ってきているが、湖上の家々ではそれぞれのイカダの上で今日の獲物の調理に一家総出でランプの光を頼りに懸命に働いている。ここは冷蔵庫がないの で、腹を割いて内臓を取り出して保存するしか仕方がないのだろう。それにしても、電気もテレビもない湖上のあばら家で懸命に仕事をしている彼らの顔の、なんと生き生きとしていることか。何の屈託もなさそうに見える彼らを見ていると物質の豊かさと精神の豊かさとは別問題だな、つくづく感じさせられてしまう。そのうち漆黒の闇が辺りをスッポリ包んでしまった。それと同時にどんどん気温が下がってくる。ボートが夜風を切って走るので、鳥肌が立ち、身震いするほど寒いのだ。「しまった。ジャンパーを持ってくるんだった」と悔やむが後の祭りである。ジョンはさすがにちゃっかりとフードつきのジャンパーをスッポリかぶり平気である。幸いホテルのバスタオルを一枚だけ持ち込んでいたので、それを体に巻いて何とか寒さを防ぐことにした。

やっと人心地ついて、ホッとして空を見上げると夜空には信じられないほど数多い星がキラキラ生き物のように輝いている。ここで見る星は正に生き物である。狭いボートの中で上向きになって飽くことなく寒さに震えながら夜空を眺めていると、突如、大きな流星が左手からぐんぐんと速いスピードで星の中をかきわけるようにして近づいてきた。「アッ」と思うまもなく頭の上を通り越してまた左の暗闇の中に消えていった。その間1分ほどであろうか、白っぽい色をして彗星のように少し銀色の尾を引いて見える。(これは目の残像からくるらしい)。人工衛星である。それにしてもすごいスピードである。初めて見る人工衛星を名残惜しく見送っていると、また同じ左のほうから別の衛星がぐんぐんやってきた。詳しい知識の持ち合わせがないが、赤道直下では同じ軌道を何個もの衛星が回っているみたいである。15時間ほど窮屈な狭い板敷きのボートに乗り詰め、そのうえ、期待していたイルカにも、ダヤツク族にも会えず残念な一日であったが、その代わりに素晴らしい赤道上の夜空を満喫できたのは幸いであった。犬塚も双眼鏡でこの星と衛星を見ていたらしく、興奮気味であった。気に掛かっていた松本の体調も、どうやらコインマッサージが効いたのか少し良くなっていた。私にも経験があるが、故国を遠く離れた異国で体調を悪くして寝込むことほど心細いことはないのだ。

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